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「若年性脳梗塞」と「後遺症」と「リハビリ」の話

「若年性脳梗塞と後遺症とリハビリの話」について

ここには、僕が「若年性脳梗塞」になった体験を掲載しています。

若年性脳梗塞は誰にでも唐突に起こりうる病気で、後遺症が残る確率がとても高い病気です。

後遺症を持ってしまった場合でも、あきらめないであがいてみた結果、回復していったケースもあると伝えたくて僕の体験を書いておきます。

 

 

 

 

若年性脳梗塞とは

脳梗塞」とは、血液中にできた「血栓(血の塊)」が脳の血管内で詰まってしまい、そこから先に血液が流れなくなってその周辺の脳が壊死してしまう病気です。

周辺の脳が壊死してしまうと、そこの部分を使って動いていた機能が停止します。
言葉を話す部分だった場合はしゃべれなくなったり、手足の部分の場合は手足が動かなくなったりします。

昔は脳梗塞と言えばお年寄りがなる病気というイメージでしたが、最近では20代・30代でも脳梗塞になり、「若年性脳梗塞」と言われています。

 

 

 

若年性脳梗塞になった日の様子

ブラック企業に就職してしまい、会社の無理難題や理不尽な状況に悩みつつ、心身共に疲労した状態で日々を送っていました。

前日までは睡眠不足を感じていても体調不良というほどではなかったのですが、ある日起きたら体が異常に重く、体がフラフラしていました。

風邪で体調が悪いか、もしかしたら熱もあるのかなと思ったのですが、熱を出しても休む事ができない会社(熱で休もうとしても、上司が電話してきて「会社が回らないから熱でも出てきてくれ」と言うような会社)だったため、その日を耐えれば次の日は休みだとムリをして会社に行く事にしました。

フラフラしながらも会社に着く事ができましたが、時間が経つにつれて症状が重くなっていき、手や足の感覚がだんだんとなくなり、まともに立てないほど体に力が入らなくなりました。

さすがに仕事も手に着かなくなってきたため昼から早退をして家に帰り、救急に電話をして症状を伝えると、すぐに救急車を向かわせると言われ、そのまま緊急入院となりました。

寝ている間、もしくは起きてすぐに脳梗塞になっていたようです。

後で知ったのですが、朝すぐに救急車を呼び、3時間・4時間以内に治療ができていたら後遺症も残らなかったらしいです。

 

 

 

入院中の様子

入院して3日は、集中治療室にいました。
脳梗塞になってしばらくは脳の血流を保たないといけないので、できるだけ頭を上げない方が良いと言われ、1週間、ほとんど寝た状態で過ごしました。

脳梗塞になった後は脳中に炎症が広がり、その影響で壊死する部分が拡大するらしく、それを抑えるための点滴や処置をしてもらいました。

MRIや脊髄注射、たくさんの検査など、入院中にいろいろな事がありましたが、ここでは僕の症状と心境を中心に書いていきます。

 

 

入院当日

広い部屋の中心に一人用のベッドと機材だけがあり、これから自分はどうなるんだろうと不安でいっぱいでした。

入院した日は、体が重く、右半身がぎこちない状態ながらもちゃんと動き、温感や触感もちゃんとありました。

 

 

 

入院2日目

次の日起きたら右半身の機能がほぼなっており、右の手足を動かそうとしても、重い木で作られた偽物のように、肩も腕もほとんど動かせず、指もまともに動かなくなっていました。

さらには、皮膚感覚が全くなくなっており、触っても触っている感覚が全くなく、温度もわからなくなっていました。

触感や温感がない代わりに、常に手がつっているような、ひねりあげられているような痛みと気持ち悪さがありました。

右利きなのに右半身が動かない後遺症になり、ペンすら持てなくなってしまった事は、絵やデザインをしていた自分にとってはとてもショックな状況でした。

 

 

入院3日目

起きたら夢だったらいいなぁ……と思って手足を動かそうとしてみたのですが、昨日と同じ状態でした。

1日目はショックが大き過ぎて何もできなかったのですが、2日目は左手でスマホを操作して脳梗塞や後遺症について調べていきました。

手に力が入らないため、何度もベッドにスマホを落としながらも、若年性脳梗塞になった人のブログや、患者を診た医者の記事を何時間も読みました。

 

 

 

 

入院4日目

集中治療室から、個室の病室に移りました。

昨日調べた内容や、今の自分の体の状況を確認しながら、頭を整理していきました。

現実を受け入れつつ、「これを前向きに考えるとしたら、どういう風に思えばいいだろう」と考えました。

そして出た結論は、「脳の一部が壊死して機能を失ったのではなく、右半身を動かすための脳の一部が生まれた時の状態にリセットされてしまった」と思う事にしました。

「病気になってしまった」のではなく「右半身が赤ちゃんに戻ってしまった」だけだと。

苦手な事や嫌な事も、「プラスになる何か」を見つけたり、「違うものに置き換える」事で、大変だけどがんばっていこうと思えました。

声優養成所に通っていた最初の頃は、人と話をするのが苦手だったり、大勢の人の前で一人で発表をするのがとても苦手で、どうすれば苦手と思わないようになるのかと、自分にあった方法を考えたり試したりしていたのですが、それが思わぬ所で役に立ったような気がします。

 

 

入院5日目

「右半身が赤ちゃんに戻ってしまった」という考えから少しでも早くリハビリがしたいと思い、体を起こさなければリハビリをしてもいいと担当医の先生から許可をもらいました。

それからは寝た状態で、肩・腕・指・足などを休みを取りつつ何時間も動かしてみるリハビリをしました。

赤ちゃんは手足が小さくて軽いため赤ちゃんの力でも動かす事ができますが、大人の体に赤ちゃんの力だと考えると簡単に動かせない今の状態にも納得がいき、動かすための訓練(脳の神経をつなぎ直す訓練)を積めば、重い大人の体でも動かせるようになるかもしれないと考えました。

5日目、6日目と何時間もリハビリをしたおかげで、2日目の全く動かなかった頃に比べると少し動くようになりました。

脳の中の神経が切れてしまっている事が動かない理由と考えられるため、「右手を以前のように動かす必要があるから、脳の神経をつなぎ直してくれ」と脳に「動かなくなった右側を動かす必要性」を感じて修復してもらえるように、念じるように意識して、ちゃんと動いてる体をイメージしながらリハビリをしていました。
(筋トレの時に、動かす筋肉を意識した方が成果が高いという話を聞いた事があるため。)

 

 

 

入院1週間目

体を起こして座っていても良いという事になりました。

ですが、まだ立ったり、ベッドから降りてはいけないと注意されました。
血圧の変化や、ムリに立つと転倒して危険らしいです。

やっと座れるようになったので、ペンと紙を使って、線を書くリハビリを開始です。
皮膚感覚が全くないので、義手にペンを持たせているような感覚で、ペンがまともに持てませんでした。

改めてショックを受けましたが、前向きに考えてみます。

赤ちゃんや小さな子供に鉛筆を持たせたら、どんな感じかなとイメージし、細かい事は気にせず、うまく描けなくても気にしないようにして、縦・横の線や、円・三角・四角など、いろんな線を書く練習を何時間もしました。

その後の数日間はずっと、ネットで調べたり自分で考えたリハビリを続けました。

 

 

 

入院2週間目

腕も足も、ぎこちないながらも動かせるようになり、文字や絵も、線がヨレヨレになりつつも書けるようになってきました。

ベッドから降りても良いという許可をもらいました。

ずっとベッドから降りてはいけなかったので気づかなかったのですが、歩くどころか立つ事もできなくなっていました。
担当医の先生とリハビリの先生に支えてもらいながら、ゆっくりと立ってみるのですが右半身に力が入らずバランスが取れませんでした。

また、足の裏の感覚がないので「地面に足がついている」という事も目で見ないとわからないような状態でした。

担当医の先生とリハビリの先生がいなくなった後、どうやって訓練しようか考えました。

腕の時もでしたが、足もやはり赤ちゃんに戻ってしまったようだと感じました。
赤ちゃんが立つ時のイメージをしてみて、とりあえず「つかまり立ち」から始めてみようと、ベッドの柵を手で掴んで、ゆっくりと立ち上がり、できる限りそのまま立っていられるように訓練をしました。

立っているだけで足がプルプルと震え、すぐに足が疲れてしまうため、小まめに休みながら何時間も繰り返しました。

普通に立つ事に慣れてきた後は、少し右足に体重をかけたり、左足に体重をかけたり、前や後ろに体重がかかった時に、バランスを取って踏ん張れるように訓練をしました。

支えがない状態で立てるようになるだけで数日かかりました。

立てるようになり、壁伝いでゆっくりと歩けるようにもなりましたが、全身にかかる重力がとても重く感じられて足があまり上がらず、短い距離を歩くだけでも大変で休まないと疲労で動けなくなりました。

それから毎日、病院の庭を歩いたり、階段を上り下りする訓練をしました。

リハビリのおかげで手足はそれなりに動かせるようになってきたのですが、入院した次の日からずっと悩まされてたのは「痙縮(けいしゅく)」です。

痙縮というのは、腕などの筋肉が「縮んだ状態」で固定されてしまったような症状で、力づくで動かす事はできるのですが、力を抜くと勝手に腕を曲げた状態に戻ろうとします。

痙縮があると腕の筋肉が常に力を入れて張ってしまい、強力なバネ式のトレーニング器具を腕に装着しているような状態で、細かいコントロールができません。

どうにか痙縮を改善できないかとネットを調べて、筋肉をリラックスさせる方法やマッサージを試すようにしました。

また、声優養成所に通っていた時に、体が固かった状態からがんばって180度開脚ができるようになった時の事を思い出し、腕に応用できないかと「この腕は痙縮ではなく、体が硬い人のようになっている」と置き換えて考え、ストレッチをリハビリに取り入れました。
(実際は、自分で自分の腕に10分間ごとにいろんな関節技をかけているような状態でした。)

 

 

 

1か月後

なんとか日常生活ができるくらいには体の機能が回復したため、退院する事ができました。

ただ、右半身の感覚は戻らず、謎の締め付け感と痙縮があり、右側だけ重力を何倍も感じていて細かい作業ができず、とても疲労しやすいという後遺症は残りました。
(時間が経ってから、後からいろんな後遺症が発覚しますが、長くなるので割愛します)

家に帰ってきてパソコンを触ってみて初めて気が付いたのですが、指先の感覚がなく、空間認識が弱くなっているせいで、キーボードがブラインドタッチで打てなくなっていました。

また、今の状態ではまともに絵が描けない事を実感させられました。

絵が描けなくなっている現実を改めて突きつけられて、かなり悩みました。

左手で描けるようにしようかと考えましたが、ネットで脳梗塞になった人のブログで「障害を持っていない方の手を使うように訓練したら、障害を持った方の手は固まって動かなくなってしまった」という話があり、なんとしてでも右手を復活させようと決心しました。

それからは、壁やカーテン、木、布など、いろんな素材でできたものを両方の手で触ったり、腕にこすりつけて、脳に左右の感覚の違いをわからせようとしたり、

左右で同じ手足の動きができるように、繰り返し動かしたりといった、思いついたリハビリを何でもしました。

リハビリをしていて困ったのが、目で見て壁や物との距離を把握していても、右側の手足が動いた分の距離(現在手足がある位置)を正確に把握できないため、予想を超えて動いて手足を物にぶつけてよくケガをしました。

 

 

 

半年後

脳梗塞の障害は、6か月後の回復度合いで固定されると言われています。

体の運動機能も感覚も、退院してすぐよりはだいぶマシにはなりましたが、正確にコントロールできない手足や、感覚がうっすらとしかない右半身、すぐに疲れてしまう体は、病気になる前と比べるととても酷い状態でした。

ずっとこのままはキツイな~……。

とか、

病気になった日に、すぐに病院いってたらよかったな~……。

とか、

それまでも何度も考えて落ち込んだりしていましたが、この頃は特に重く悩んでいました。

悩んだ結果、「それでもあきらめきれずにあがいてみよう、なんでもやってみよう。もうやるしかない」と思いました。

「脳医学」では「6カ月後からは回復は期待できない」とされていても、「脳科学」ではいろんな情報がありました。
病気や事故で脳が半分や大半がなくなってしまったのに、全く障害を持たなかったり、最初は重度の障害があっても回復して軽くなった人の話もありました。

それからのリハビリは、いろいろ試しすぎてどんな事をやって、どれが効果があったのか自分でもわかりません。
脳梗塞以外の人のリハビリを取り入れたり、脳や体にいいと言われるサプリを飲んだり、脳を鍛えたら修復が早くならないかと小説を読んだり、調べものや勉強をしてみたりもしました。

 

 

 

1年後

あきらめずにリハビリと訓練を続けたおかげで、かなり時間はかかってしまいますが再び絵も描けるようになり、パソコンのタイピングもできるようになりました。

症状が固定するとされる半年後から後も、少しずつですが回復しているように感じます。

これからも少しずつ回復していって元通りに戻らないかなと、前向きに考えてリハビリを続けていきたいと思います。